坂戸市とともに
私は1973年、坂戸市の塚越に長男として生まれました。今でこそ大きな体格ですが、幼いころは体が弱く、両親はこんなに大きく育つとは思っていなかったそうです。
坂戸市立泉小学校、泉中学校を卒業した坂戸生まれの坂戸育ちです。
若者が夢を奪われる
きびしい労働状況の中で
嵐山町にある会社に勤めていた時、転機が訪れました。
小泉「構造改革」が吹き荒れ、「会社も構造改革を進める」と会社の経営方針が一変しました。有給が取れない、遅刻一回でボーナスを10万円も引かれました。
抗議をすれば「失業者の多い時代、募集をすれば賃金が安くてもいくらでも人は来る。不満があるなら辞めろ」、そんな状況でした。
「もう我慢できない」私と数名の仲間が声をあげました。
しかし、どうしていいか分かりません。地元の日本共産党議員に相談しました。真剣に話を聞き相談に乗ってくれ、「労働条件を改善するなら労働組合をつくってみては」と地域労働組合など、多くの皆さんが支援をしてくれる中、会社側と交渉を重ね、ついに賃上げなど数々の労働条件を改善することができました。
今度は自分が
多くの人のために
私は、派遣労働も経験しました。若者の就職難や派遣労働の実態を「自己責任の結果」として切り捨てる今の政治でいいはずがない。
若者の責任ではなく、労働者をモノのように扱い切り捨てる企業と政治の責任です。
皆さんの声を議会へ
原発事故から、放射能汚染の不安が広がっています。
これまで市内小中学校、幼稚園、保育園の放射線の測定や給食の食材の検査の実施と公表や通学路や側溝、雨どいなど高い線量が予想される場所の測定など実現させてきました。
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