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雷の下で!丘の上で

大震災・被災地コンサート報告

11/06/20

 5月8日(日曜日)から10日(火曜日)まで名取、気仙沼、石巻で野外1回、避難所10回を廻りました。3ヵ所を紹介します。

バイオリンとピアノで演奏している写真:クリックすると大きくなります
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激しい雷の下で

 激しい雷、涙雨が降る8日(日曜日)10時 名取市増田西小学校体育館。演奏中に激しい雷雨が屋根を叩いた。

 終了後、一人の女性が駆け寄った。「亡くなったみんなが演奏に、天国で感謝しています。この雨は、嬉しくて泣いている涙雨です」と声を詰まらせて語った。41歳の息子さんを失くしたという。一同涙の中に自治会長が「このおばさんはとても元気で、避難所の太陽です」と言葉を入れてくれた。お花を捧げて写真に入っていただいた。

花を持っている写真:クリックすると大きくなります
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砂塵渦巻く丘の上で

 続いて車で30分ほど移動、壊滅した名取市閖上(ゆりあげ)地区の通称「日和山」は10mほどの丘で一帯を見渡せる。1ヵ月前に地元の障害者学校の先生の案内でこの場を訪れ、約2千の命が眠ると聞いた。遺体収容は半数、無念さが胸を衝きこの場でのコンサートを心に決めた。

 宮城県高教組との共催で「鎮魂と連帯の調べ」を、5月8日(日曜日)発生時間に合わせ開催することとなった。仙台に前夜入りし10時からの避難所での演奏を終え、昼過ぎに現場に到着して準備、午前中の雷雨は上がるが風が強まってきた。報道陣から「風速は20メートルを超し、竜巻注意報が出ているが大丈夫?」の声も入るが、とにかく黙祷とこの日のために用意した地元の名曲『斉太郎節』だけはやろうとなった。

日和山での写真:クリックすると大きくなります
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 集われた中から20人ほどが、肩を組むように防風盾を作って3人の奏者を守る。ピアノ譜は左右から二人が押さえた。ヴァイオリン、尺八の譜面台も同様に守り手がつく。猛烈な砂ぼこり舞う中で演奏が始まった。ピアノの電源の発電機のエンジンの音など風音に消えた。目を瞑る人、涙をぬぐう人、丘に集った人たちに守られて3人は約4分の調べを見事に奏で終えた。

 取材陣が多数、夜のNHKニュース、翌9日の毎日1面、朝日社会面全国版、共同通信記者が詳しく松本に取材、全国配信で多くの地方新聞でも報じられたという。

余震の恐怖を感じながら

 現地入り後に「遠くて誰も来てくれない。是非!」と、北上河口近くの石巻市北上子育てセンターから要望が入る。やりくりして石巻市内から北上川沿いを海へ下る。地元の先導車も道を迷うほど、寸断された道がかろうじて緊急工事でつながった感じ。余震の津波がきたらアウトの険しい海岸沿いをひた走る。ところどころに無残な瓦礫。この先にまだ人が、といぶかりながら進む。

 まさに陸の孤島に、132人が暮らす。電気は自家発電で夜だけ、水道もまだという避難所だった。孤立はしたが、あまりの不便さのためどこの家でも食糧備蓄があり、水は山の湧水で間にあったとふるさとの連帯を誇っていた。

バイオリンで演奏している写真:クリックすると大きくなります
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 時間が無く20分強の演奏を終え、一路仙台発の新幹線最終に間に合わせるために奏者は慌ただしく先発。私たちは片付けの手を休めてしば懇談、再訪をお願いされて見送られた。

 夕陽が落ちる海の情景がたまらなくやさしい。「おまえはなぜ津波になったの?」の思いで海を見ながら帰路についた。

 「バイオリンを初めて聴き、泣いてしまった」「若いころに喫茶店で夢中で聴いた曲を、生で聴けるなんて」「心に沁み入った。また来てください」「一生忘れません」などなど、多くの感謝の言葉をいただいた。一次訪問を無事終えた。二次は5月27日から31日、もうすぐである。

愛とヒューマンのコンサート委員会 今野 強・和子

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