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救援をありがとう!

熱い心と救援物資を届けてきました

11/05/10

 坂戸市発行第1号「災害派遣等従事車両証明書」を車に貼って、4月12日から16日まで被災地・宮城に、娘と一緒に救援物資と義援金を届けながら、障害者の支援をしてきた。

支援物資の写真:クリックすると大きくなります
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 津波で町役場が流された女川町と壊滅状態の石巻市の沿岸部は、最悪の状況だ。電気が使えるようになったのは、震災後丁度1ヵ月、ガスや水道は無い。

 大きな避難所でも、おにぎり1個と菓子パン2個の食事で、野菜や果物などもちろん無い。

 避難場所に自力で来られない、逃げられない在宅の障害者は行政も掌握できず、私は石巻市障害者福祉課の依頼を受け、避難する場所がない沿岸部の瓦礫の山の中、人気のほとんど無い家々を、たった一人で恐怖と戦いながら探し歩いた。

 ライフラインが閉ざされた半壊の家で暮らす障害者たちは、さらに悲惨だ。数個の菓子パンと数本のペットボトルの水だけで生き抜いていた。2日前に電気が来たが、米をとぎ食器を洗う水は無く、1ヵ月以上も冷えたものだけ。風呂にも入れず、洗顔・手洗い・排泄・洗濯など多大な苦労を強いられていた。

支援センターの掲示板の写真:クリックすると大きくなります
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 避難警報が鳴っても、一人暮らしの歩行困難な肢体障害者はエレベーターも止まり、家に取り残されていた。一人生活のペースメーカーの女性は、走れず家に取り残され、携帯電話がある避難所で暮らせず自宅生活。家を丸ごと無くした義足の女性、壊れた家に一人寝たきりの高齢の女性…障害を持ちやっと生きてきて、この大震災にあい涙さえ流さず生きているのだ。

 それらの地域は、給水車が来ない。来る避難場所に自分の力で取りに行けない障害者・高齢者は、本当にわずかな水しか使えない…。

 一人ひとりの障害者の家で炊き出しをし、温かい食事を提供し、皆さん方からの救援物資を届け、医療機関や福祉課と連絡をとり、その後の支援体制も作ってきた。

 最終日まで残した救援物資は、女川町の病院、被災障害者宮城本部、東日本大震災仙台支援センターに、救援金は全額共同作業所連絡会(障害者施設)に渡してきました。

 皆さん、ありがとう!

千代田4丁目在住 大久保俊秀

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