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10/06/06
「核兵器のない世界を」の署名活動に取り組んでくださった皆さん、署名に協力してくださった皆さん、物心両面のご支援をしてくださった皆さんにNPT再検討会議ニューヨーク行動代表団として坂戸から私たち二人を送り出していただいたことに対し、まず心からお礼を申し上げます。 核兵器なくそうの思い690万余の署名提出さて私たちは成田空港を5月1日午後3時半に出発し、ニューヨークに現地時間5月1日3時半に到着し第1日目が始まりました。すべてを班の単位で行動することになっており、私達は8人グループになりました。ま最初は夕食を食べる所を探すことでした。ホテルの通りをまっすぐに15分くらい歩いた所で「ラーメン」の文字を発見。吸い込まれるように入り、日本の味を食べてしまいました。 2日目の午前中は署名行動。近くのセントラルパークに出かけ、覚え立ての英語で「署名をお願いします」と呼びかけ、応じてくれた人にお礼に折鶴を渡すととても喜んでくれました。 午後はニューヨーク行動の一番の目的である国連へのデモンストレーションのため、タイムズスクエアへ集合。集会では被爆者の証言や広島、長崎市長の挨拶などがあり、摩天楼を仰ぎ見ながら出発しました。 各国の若い人の姿も見られ元気に行進。国連前に着いたのは予定よりずいぶん遅れたにもかかわらず、国連上級代表のドゥアルテさんが「私は署名を受け取るために来た」と待っていてくれました。690万1037筆の署名の詰まった段ボール箱が積まれた前で手渡しのセレモニーが行われました。ついに皆の核兵器を無くそうの思いを届けることができたと感無量で見つめました。 3日目はここまで来て「国連の中も見ないと帰れない」と、朝から土砂降りの雨の中長い列に並び入場。オープンスペースでは原爆展が行なわれていました。第五福竜丸の西脇やすしさんがインタビューを受けていました。 入場料の必要な部分にも入り見学。ここでは長崎で被爆した石の聖母像に出合いました。その背中は熱線に一瞬熔けたのかヒダ状になっていて目に焼きつきました。午後はキング牧師がベトナム戦争に反対する演説をしたというリバーサイド教会で文化行事とパネルディスカッションが行なわれました。質問が次々と出て時間が足りないほどでしたが、素晴らしいステンドグラス越しの柔らかい光に包まれ座り心地の良い長椅子で眠気との闘いもありました。 4日目はまずバスの車窓より市内見学、午後は「女性のつどい」へ。各国の女性の発言を聞き、NATOとの闘いは日米安保との闘い、沖縄の闘いと同じと特に印象に残り、“世界は女性の行動で平和にできる”とエネルギーをもらいました。 5日目はラスベガスへ移動、アメリカで唯一という「核博物館」を見学。核エネルギー讃美と“原爆投下により戦争を終わらせた、強大な力を持つアメリカにかなう者なし”。こんな内容に愕然としましたが、その後のネバダの核実験に反対する平和活動家との交流し、ここでの草の根の運動を知りほっとしました。 ネバタ核実験場ではインディアンの方々との交流も6日目はネバダ核実験場へのゲート前へ。土地を奪われその上被爆させられたインディアンのショショニ族の方々と交流しました。 7日目、帰国。家に帰り家族の話と「しんぶん赤旗」を読み、アメリカではまったく報道されなかったニューヨーク行動の全体像を知ると同時に、志位委員長のアメリカで果たした一国の首相級の役割を知り感動しました。本当に充実した1週間でした。 100人の被爆者も参加このニューヨークの行動には日本から1600人が参加し、うち100人が被爆者でした。NPT再検討会議も被爆者の発言が行なわれる歴史的な内容になっています。ニューヨークの行動では被爆者の証言が核兵器の非人間性を浮き彫りにし、参加者の心へ乾いた土に沁み込む水のように広がり衝撃と感動を与えました。 また、届けられた署名に象徴される日本の草の根の運動に励まされたという声がどこででも聞かれました。「核兵器を“ゼロ”に!」「集会から帰ったら運動を広げよう!」「一人ひとりが変わり行動するとき、核は廃絶される!」。これらが合言葉でありより強まったことが特徴的でした。 私達2人は日本での草の根の運動をもっともっと広げなければとの責任を強く自覚して帰国しました。皆さんと一緒にこれからもがんばる決意です。 坂戸の皆さん、本当にありがとうございました。 吉村絢美・高橋宣子 |
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