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08/12/24
11月9日(日)、坂戸市保育をよくする会の学習会「子育てをみんなで楽しもう」が坂戸市コミュニティセンターで開催されました。 第1部は「はちの巣太鼓の演舞」で、荒馬踊り、ぶち合わせ太鼓、三宅など約1時間にわたり、コミュニティセンターの舞台を所狭しとダイナミックな演技が披露されました。その後、子どもたちや大人も舞台に上がり、太鼓が初めての人にも指導付きで「みんなで叩こう輝け囃子」を元気よく太鼓で楽しみました。 第2部は長田まみ子さんによる講演で「ハンディを乗り越えて」でした。 長田さんは、今年の北京パラリンピックにシッティングバレーボールの選手として日本代表で初出場した方で、短大2年生の20歳の時に骨肉腫で入院し、1988年に右足切断、その後片足というハンディを乗り越え、シッティングバレーボールを始めました。 シッティングバレーボールは戦争で足を負傷した軍人のスポーツとして始まったものです。義足を外し座ったまま競技を行なうため、会場の横には多くの義足が並ぶと話していました。 6年後の1994年には、北京フェスピック大会(極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会)に全日本として出場、結婚、長女・長男の出産後もオランダ世界大会などの各種大会に参加、昨年の上海アジア大会にてパラリンピックの出場権を獲得し、今年の北京パラリンピックに出場しました。 長田さんは、講演の中で二人の子どもは、1歳になると保育所で、小学校になると放課後は学童保育(府中市は学校毎に有り)にお世話になりました。しかし当時は、親に障害があるということだけでは保育園(入所対象でなかった)には入れず、練習の傍ら仕事もしていたとのことでした。 9月のパラリンピック中も足に痛みがあり、大変だったこと。日本には体に合わせた義足が整っているが、アフガニスタンやベトナムなど条件の悪い国々の方々も頑張っていること。いずれにしても、12人の選手は多くの人々の協力があってこそパラリンピックに出場できた。4年後のロンドンも失敗を恐れず挑戦していきたいと締め括りました。 |
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