星霜32年 我が議員活動に悔いなし

日本共産党坂戸市議団 新さかど

20年5月15日

 会社の偽装解散と闘い和解した直後の1987年(昭和62年)、坂戸市議選への立候補の話が舞い込みました。共産党は当時、現有4議席を5議席に増やすのが目標。決意した私は鉢巻きをタスキに変え、「正義と行動力で全力投球」を掲げ初挑戦。(写真をクリックすると大きくなります)

正義と行動力で全力投球

吉岡さんの写真:Enterすると大きくなります

 その年の11月初めから北坂戸駅東口に立ち、一番電車から毎日3時間、政策などを訴え続けました。コートや手袋もなし。見かねた市民から手編みのマフラーやコーヒーの差し入れ等の温かいドラマも。88年4月の投票日直前には「厳冬の150日間」の見出しが躍るビラが。そして初当選。「悔いなく戦った」と今も思っており、32年間の議員活動の源泉になりました。

 平成へと改元した1989年の議員全員協議会での発言で、「西暦ばかりだ。元号を使え」と保守議員からクレームが。私は「そんな決まりはない」と反論し、事務局も認めたという一幕も。

3代の市長との論戦

 3代にわたる市長との論戦には思い入れがあります。宮崎雅好市長は答弁で「住民エゴの代弁だ」。私は「市民要望をエゴとは何事」。これが初の一般質問。

 伊利仁市長の時は「小泉構造改革」で市民福祉が切り捨てられるので、「市長は国にモノを言え!」と迫りました。

 「職員の給与カットで貯金40億円を」を公約に当選した石川清市長。「40億円は過大だ」と追及したら、市側は「予算規模の5%程度」との答弁。15億円程度ということ。忖度のない正直な答弁でした。財政規模を度外視した貯金は、老人福祉センター等有料化など市民福祉後退につながります。

後継者の当選に安堵

 一方、片柳地区区画整理事業の見直しを伊利市長に求め、大幅な事業費削減と期間短縮が実現。約10年がかりでした。

 学校へのエアコン設置では設置時期短縮と経費節減の手法を提案。学校給食無料化も一貫して要求し「第3子から」が実現し、新年度からは年齢拡大も。

 80歳一歩手前になり、議員を交代しバトンを誰かにと考えていた折、宮坂裕之さんという39歳の好青年が現れ、見事に当選。ホッとしています。我が議員活動に悔いはありません。

 しかし、最後の議会での平瀬としひさ議員に対する「議員辞職勧告決議」は、坂戸市議会に汚点を残したと怒りを禁じえず、議会の民主化の必要性を痛感しています。

 いずれにしても、自身の記憶に残る成果を上げられたのも、ご支援いただいた皆様のおかげです。ありがとうございました。

2020年5月

前坂戸市議会議員 吉岡茂樹

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