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坂戸の公民館活動の歴史

13年11月26日

 戦後間もない昭和21・22年頃、米軍の軍政下で治安こそ維持されていたものの人々は職を求め食べ物を探して彷徨し、戦時中あった隣組の連帯感は崩壊し、道義も廃れた世の中を少しでも建てなおそうと公民館運動は始められたのです。坂戸で逸早く手をつけられたのが当時の勝呂村長だった大塚教識先生でした。

田中一郎さんの写真 先生の構想は単純明快で、村の予算を三分して土木費・教育費・一般事務とし、公民館活動に総務・教養・体育・産業の4部門を設け、その部員に、のち合併する坂戸町(坂戸市)の市長を務める林徳之輔氏・宮崎雅好氏はじめ中島近治・池田儀一郎・野口家之助氏ら多士済々。

 この刺激をうけて、坂戸・大家・入西・三芳野の公民館活動も始まり、私田中一郎も昭和45年6月から中央公民館の館長として社会教育に携わり、全国でも珍しい非常勤職員制度を踏襲して県公協表彰・全公連表彰・文部大臣表彰を受けたのです。たまたまこの非常勤職員には、現市長の石川清氏も名を連ねています。

 その後、私は全国公民館市町村長連盟と全国公民館連合会の事務局長を務めましたが、全国公民館でも非常勤職員を持つところは、広島と北海道と坂戸だけ。ここにも大塚先生の道を踏襲した坂戸の公民館活動の特色が生かされているのです。

 もちろんその活動を助言し指導した中島常吉氏の功績も忘れてはなりませんが、田村義頴・須田彦・主事部会の新井敏夫氏など先人の築いた公民館を無下に退けることは、私にはできません。まして社会教育法で規制されている公民館のことですから…。

中央公民館元館長 田中一郎

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