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文ちゃんと行くバスツアー

15年12月22日

 雨天決行! 小雨降りしきる11月8日(日曜日)、「文ちゃんと行く世界遺産・富岡製糸場&紅葉の群馬路バスツアー」に行ってきました。日本共産党坂戸市すみよし後援会が主催。文ちゃんことあらい文雄議員を始め、大型バスは総勢47人で満杯。(写真をクリックすると大きくなります)

 まずは世界遺産の富岡製糸場へ。雨の日曜日なのに大勢の観光客が訪れていました。赤いレンガ造りの製糸場の中は広く、途中の柱はなくて天井の高い明るい工場でした。

 中には蚕から生糸を取る機械が300釜並んでいました。今は機械のみで繭も糸もそして繭を煮る匂いもありません。一時期世界に高品質の生糸を輸出し、日本の産業の躍進に一役買ったのは、ここに働く若い女性たちだったのですね。観光ガイドの熱の入った詳しい説明に参加者一同脱帽。

 富岡製糸場を後に紅葉真っ盛りの国の重要文化財「めがね橋」へ。晴れていたらもっと絶景と心残りも。待ちに待った昼食はおぎのや名物「峠の釜めし御膳」に舌鼓。満足満足でみやげの買い物を楽しみました。

 最後は最近インターネット情報で急人気のこんにゃくパークで工場見学。ちょっぴり研修?と買い物、足湯組もいたのかな、少し盛りだくさんでしたが帰りのバスでは、恒例のビンゴで一喜一憂。群馬路の秋の一日でした。

すみよし後援会 栗原繁子

バスの中での写真:クリックすると大きくなります
建物前での写真:クリックすると大きくなります

富岡製糸場・群馬路バスツアーに参加して

 当日は秋の長雨の時期に重なり、朝から小雨でした。富岡製糸工場では建物の外観や広い工場内を解説員による説明を聞きながら見学しました。映画「女工哀史」とは違って、工女たちの労働条件が制度や設備などが整っていたのは、フランスからの指導者を招いたからのようでした。

 次に「めがね橋」。明治時代に作られたレンガ作りのアーチ橋まで雨に濡れた木々の紅葉に目をやりながら歩き、めがね橋を下から見上げました。昼食は横川の釜めし、そしてこんにゃくパークでの買い物とどこも混雑していましたが、新井議員の後援会ということで心がつながっているせいか、楽しい気持ちで帰路につきました。

 安倍首相の動きをNHKが報道する度に、日本の民主主義がなくなってしまうと不安になります。日本共産党の提案のように、野党がひとつになり国民連合政府を作るしか道はないと思います。

 そのためにも来年の4月の市議選で、あらい文雄議員の再選に向けて頑張らなくてはと思います。

 参加者の皆さん楽しかったですね。またご一緒しましょう。

塚越  小野沢

説明を聞いている写真:クリックすると大きくなります
建物内での写真:クリックすると大きくなります

明治時代初期を想う

 明治時代になるやいなや富国強兵・殖産興業が重点施策としてとられ、富岡製糸場は殖産興業政策の一環として設置されました。富岡製糸場は明治5年に建てられ、21年後には民間に払い下げられています。

 インターネットで少しだけ調べてみました。富岡製糸場に女工哀史はなかったらしいという記述が数多く見られているが、決してそうではない。製糸工女は日本で最初の工場労働者であり、日本で最初に近代資本に搾取され、近代資本と戦った人たちであるというものでした。

 富岡製糸場の煉瓦造りの建物、碓氷峠のめがね橋(明治25年完成)の煉瓦造りアーチに歴史の重み・風格を感じるとともに、明治初期とその時代を生きた人々を想った小さな旅でした。

千代田 岸

説明を聞いている写真:クリックすると大きくなります
買い物をしている写真:クリックすると大きくなります

製糸場の建造物、自動製糸機、大事に保存を

 世界遺産・富岡製糸場の建造物は、大きな体育館やホールに慣れている私たちから見ると、それほどとは思えない。でも、思いを明治初期に巡らせると、やはり、周囲を圧するものだと納得する。つくりも堅牢で、大事に保存していきたいと思う。

 また、製糸所に並んだ自動製糸機は圧巻だった。もう少し時間があれば、映像を見たり、製糸の実演、体験もやってみたかった。

 雨だったけど、眼鏡橋も上まで上がって楽しかった。お世話になりました。

島田 岡野

新井議員の写真:クリックすると大きくなります
こんにゃくパークの写真:クリックすると大きくなります

全員での写真:クリックすると大きくなります富岡製糸場雑感 工女のこと

 煉瓦造りの置繭所といい、トラスト構造の繰糸所といい、実に工夫されて建てられたことがガイドさんの説明で納得できた。それにしても、当時各地から集まった女工さん(技術伝習工女))たちは、大規模な工場にさぞかし驚いたことだろう。

 9月末の「東京新聞」書評欄に植松三十里著「繭と絆」(文芸春秋)が紹介されていた。初代工場長は渋沢栄一の義兄・尾高惇忠で、その娘勇(十四歳、工女第一号)を伴って秩父から小川村へと工女募集の旅に出た。そこで巡り合った女工たちとの糸(絆)を紡ぐ物語だとのこと。

 ガイドさんが紹介していた和田英(最優秀技能の工女でした)著「富岡日記」はちくま文庫から出版されている。

東坂戸 和田

 

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