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私と憲法

13年5月10日

 昭和22年(1947年)4月、私は高坂から2時間かけて本郷に通った。兵役のため入学した18年(1943年)から5年も遅れた大学生活だった。

 「曲学阿世」で名を馳せた南原先生の憲法講義は月曜・木曜ともに1時限なので一番電車でないと間に合わない。教室の開く8時には長蛇の列ができている。

 受講する学生は、法科・文科が中心だが理学部・工学部の学生もいる。250席の階段教室に300人近い学生がつめかけ通路の階段に座る学生もいた。

 その超満員の教室で旧憲法と新憲法を比較しながら解説する先生の言葉には熱があった。神格化された天皇を身近な人間天皇として日本国の象徴と云う表現にした経緯も分かった。しかし、この講義の中で9条の「戦争放棄」の文言には大半の学生が陸海軍から復員した小・中尉だっただけに先生は一字一句かみしめるように話された。

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 この憲法9条を読み終わった時、期せずして拍手が沸き起こった。そして先生は国の未来を信じつつ死んでいった学生のために黙祷しようと提案、全員が起立して3分間の黙祷を捧げた。

 この時の感激は、いまもなお私の胸を打つ。

泉町 田中一郎

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